リンリン脳内文書

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青天の霹靂とかまさかとかマジでとか

12/5の土曜日、父が会社の定期健康診断で引っかかった項目の再検査日という事を聞いていました。

 

なんかあったら嫌だなーと思いながら胃カメラ検査という事でまずは検査自体が辛そうなので、頑張ってと伝えていました。

私の住んでいるところのすぐ近所の病院(昔からある市民病院的な、決して最先端医療!とか名医がいる!とかいう病院ではない。みんな近いからとりあえずそこに行く的な病院)で、

終わったら連絡してねと伝えてましたが、そういえば連絡がない。

あれ、検査しんどかったのかなーとか、忘れてんのかなとか思っていた時に、連絡が。

 

 

「なんか腫瘍があった、しかも食道と胃の間のところで、半分くらい塞がっている大きさ。」

「生検用の採取もした。1週間後に結果が出る」

「画像見たところ腫瘍部に白っぽいところもあるし、周りもびらん?ぽい感じ。」

「癌かも?」

 

 

おいおいおい、ちょっと待てよと。

なんで今というか、なんであんたなんだとか。いやきっと良性だろとか、色々頭の中で吹き零れそうな感じがした。

いや、本人はもっとメンタル的に凹んでんじゃないかとか心配事も次々に出てくる。

今私はどうしたらいいのか。

ていうか病理診断遅すぎるでしょう!

多分、大学病院か、外注の病理に出すから時間がかかるんでしょうが、

そんな時間かかるなら最初からでかい病院行って貰えばよかった!

出だしから失敗した気分。

自分の時もそうでしたが、(結果を待つ)という時間は非常に精神衛生に悪いと思う。

いくら親子でも、当人でない他人の私が既に吐きそうだ。

そして良性な気がなぜかしなくて、悪い様に考えてしまう事は駄目なんだろうかとか、

ここで何か神頼み的な事をしていれば何か変わったりするのかとか、早くも子供の私が軽くパニックに。

 

その日のうちに色々調べ始める。

結果が出ていないし、良性かもしれないし、悪性かもしれないし、または違う病気かもしれない。

が、私が次々とネットのページをめくっているのは癌関係ばかりだった。

 

深夜〜朝方までそんな事をしながら唸りつつ、朝方うとうとしていたら、父から電話が。

「迎えにいくから実家きて。家族会議するから」

マジかよと。

もうなんか自分でもおそらく色々調べたりして、悪性な気がしてるのか?

内心まだ認めたくないのと、検査結果に良性の文字をまさかの確率でも祈っていた私は、

現実に引っ張り上げられた気分に。

本当なら行きたくなかった。

認める気がして。

父にもなんで?画像見てわかったの?医者何かそれっぽい事言ってた?と少し詰め寄った。

父は、「何かあってから、では遅いから、今のうちに話して置いた方がいい」

と、言うが、そもそもそれを本人に言わせてしまったのは、良かったのだろうか。

画してその数時間後に、父が迎えに来て、実家へ。

昼食を食べてからとのことで家族4人で食べ終えると、奇妙な雰囲気が。

食事中も、妹と母はあまり話さなかったので、父と他愛無い話をしていた。

私が、「で、何を会議するの」と我慢できずに口走った。

沈黙も怖いし、父が言い出しにくいかもとか、でしゃばったかなとか、色々考えたが。

 

家族会議は、父のまずは全部聞いて、各自メモを取るように。と、会社のミーティングかよ!

というスタイルで始まった。

途中で質問を挟んだ妹は、とりあえず聴け!と諭される。

母は隣に座っていたが、メモが追いつかない。

気持ち的にはこんなこと、無意味だ、きっと良性だしなんとかなる、だとか、(拒否)の表れに見えた。泣き出しそうな顔にも見えた。

私はパソコンを出して、父の言葉を取り溢さないよう、時々聞き直しながら、メモに叩き込んでいった。

その間、私は出来るだけ明るく話そうとしていた。

母が泣き出さないように、私が泣き出さないように。

それは別に清い気持ちとかそんなものではなくて、意地みたいなものだったと思う。

途中で母は泣き出してしまった。

ヤバイ、つられる。

そう思った瞬間自分の視界も少し滲んだ。耐えろ。泣くなと堪えた。

 

父の話は、現在の資産、預貯金、保険、葬儀の希望、各連絡先、等だった。

死ぬ気満々かよと。

そんな予感がしてるのか、私は本人が一番精神的にしんどい中、一晩でここまで用意をこなした父がどんな気持ちなのか、そればっかりが気になった。

私と父はすごく似ている。

外見や手相は生写し。(男女だが)

性格は私を大人にしたのが父で、食べるもの、趣味も共通のものが多い。

父の思考とも、私は勝手に似ていると思って来た。

母にも良くいわれてきた。

実際、ここ何年かは、私と父は毎日のように連絡を取り合っていたし、

私が手術してからは、毎週のように来てくれていた。

甘えていたのも事実だし、母と父の二人の時間よりも、私と父の時間の方が、話している時間は長かったんじゃ無いかと思っている。

 

家族会議は父からの説明の後は質疑応答タイムで、検査に関してとか、今はしんどく無いのかとか、検査画像はどんなのだったか、過去病歴、治療の希望、延命の希望など。

その話の間も母は絶対に治る、手術で全部撮って仕舞えばいい、大丈夫。

と、何をしてても治す、という方法を探すという話が主だった。

父は開腹手術や、無理な投薬は望まないという。

ぶっちゃけ私も自分であったら、完全に同意だ。

むしろ放置してもいいと思っている。

が。父のこと、人の事となると100パー同意はできないんだなと思い知った。

けれど、なら、大きな要望は無視せず、嫌な事は嫌じゃなくなる様、私が頑張れば良いんじゃ無いか。

父が開腹手術は嫌といえば、内視鏡ロボット、ダヴィンチの資料を見せた。

すると、「これだったいいかも」と。

こんな風に、気持ち的にも上を向くか、最低限マイナス思考をできるだけ取り除いて、

病院やお医者さん、最新技術や治療の情報、選べる事を増やすのが、私にできる事なのかなと思った。

押しつけがしんどいのは、自分が病気した事で少しはわかっているつもりだ。

癌などの死ぬ様な病気ではなかったが、指定難病を10年以上体験して来た中で、生かせる事があると思っている。

再発の際は、1年以上原因が分からずドクターショッピングを続けた。

指定難病の認定も、一度目の発症時は医師に使えないと言われ諦めたが、再発の際、市のそう言った担当部署へ行くと、充分使用可能だと言われた。

薬に関しても、医者によって、使い方も違えば、勧める、勧めないも全く違う。

知識の有無も薬剤だけに絞ってもかなりの違いが有る。

 

なので、私もしっかりしなければ。

私にも、信頼している先生は居ます。

15件以上の病院へ行って、1人だけ。

もう一人は私の指定難病、希少疾患の権威がある先生だが、大学病院の仕組み上、少し付き合いにコツがいるというか、難しいけれど、10年以上お世話になっている先生。

後、病院自体が少し遠い。

 

父も歳で目も悪いし、自分で色々調べるタチなので、私が調べた現在時点での情報を要るか聞いてみた。

調べるのがしんどい(体力、精神的に)だろうとも思ったので。

ネットの情報なんて、同じものも多いし、

検索して最初に出てくるものは大多数の意見、小さな情報は奥の方に有る。

見たくなければ良いからと言ってみたが、送ってと言われたのでPCに送付。

ネガティブな部分は抜いてしまった(これは父が調べて知っているであろう事に関して

 

とりあえず検査結果待ちの間は、良性で有ります様。

と祈り続けています。

同時に悪性の場合、の資料集めも。

早く動ける様に。

少しでも選択肢を早い段階からできる様に。

幸い、今は体が辛いという症状は、ヘルニア以外には無いらしい。

検査後から、そういえば物が飲み込みにくいかもと。

しんどくは、無いそうだ。

 

 

 

 

私が代わりたい。

父に、先に私が死にたいと言ったら怒られた。

順番は守れって。

親不孝な娘の私は、そう言われた今も、私が代わりたいと思っています。

 

結果発表まで、後数日。

 

 

rinrin